日々の生活に欠かせない商業施設、病院、学校などが徒歩圏内にあり、安心して快適に暮らせます。
交通アクセスに恵まれ、徒歩9分の門司駅から小倉までは1駅。
外出するのも便利で、誰もが自分らしく生活できる環境です。
日々の生活に欠かせない商業施設、病院、学校などが
徒歩圏内にあり、安心して快適に暮らせます。
交通アクセスに恵まれ、徒歩9分の門司駅から小倉までは1駅。
外出するのも便利で、誰もが自分らしく生活できる環境です。
電車、バス、車、すべてのアクセスが抜群。
どこへ行くのもスムーズです。
JR鹿児島本線「門司」駅
西鉄バス「高田二丁目」バス停
保育園から高校まで充実した教育環境。暮らしに便利な施設もそろっています。
萩ヶ丘保育園
北九州市立大里柳小学校
北九州市立柳西中学校
敬愛幼稚園
敬愛小学校
敬愛中学校・敬愛高等学校
ダイレックス門司大里店
セブンイレブン門司高田店
ゆめマート門司
門司郵便局
福岡銀行門司駅前支店
九州鉄道記念病院
平安時代の後期、寿永2(1183)年の夏、源平合戦で源氏に都を追われた平家一行は、安徳天皇と三種の神器を奉じて九州に逃げ延びてきました。大宰府から「柳ヶ浦」と呼ばれていたこの地に移り、安徳天皇の仮御所を設け、帝の内裏が置かれたことから「内裏(だいり)」と呼ばれるようになりました。その後、江戸時代に「大里(だいり)」と書き改められ、現在の地名となっています。御所を造営した跡地には神社「柳の御所」があり、境内では平家が都を偲んで詠んだ歌が紹介されています。
江戸時代、大里は参勤交代往還の長崎街道の宿場町として栄えました。豊前小倉藩の初代藩主細川忠興公が、本州へ渡る最適の地として大里に宿駅を置いたのが始まりです。江戸時代初期、長崎街道の起点は小倉の常盤橋でしたが、寛政11(1799)年に長崎番所が大里に置かれ、起点が移ったとされています。江戸時代中期には、参勤大名の8割以上が大里宿より渡海往来し、幕末にかけて繁栄しました。大名が宿泊する本陣、人馬中継所など多数の施設がありましたが、幕末の戦争で焼失。跡地には石碑が建てられています。
明治時代、神戸の商社「鈴木商店」が、大里地区の交通の便や良質な水、豊富な石炭と労働力に着目し、この地で事業を拡大していきました。明治36(1903)年に設立した大里製糖所(現・関門製糖)をはじめ、大里製粉所(現・ニップン)、帝国麦酒(現・サッポロビール)などの工場を、大正時代にかけて次々と建設。関門製糖は現在も操業を続ける日本最古の製糖所です。また、帝国麦酒の工場は門司赤煉瓦プレイスとして保存されています。煉瓦造りの建造物は今も当時の姿を残し、その多くが近代化産業遺産として親しまれています。
〈参考サイト〉大里地域の見どころ(門司駅北側・豊前大里宿関連史跡等)北九州市 (kitakyushu.lg.jp)/大里地区ガイドマップ 北九州市 (kitakyushu.lg.jp)
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